変わらないものなんてないんだね

主にaccessのことをきもちわるく語るブログ

もしヒロタンの声が出なくなっても、大ちゃんはaccessでいてくれる?

※この記事は、当時のツイートや記憶を掘り起こし、記事化したものです。
 ブログの投稿日は、主なツイートをした日となります。
 ブログ記事起こし:2020年5月9日

それは2016年12月04日 access TOUR 2016 24SYNC 会場:神奈川県民ホールのことでした。
24SYNCの中盤のセットリストは Lovin' you⇒Toy Box In The Morning⇒アクセスチャンネル⇒Hung Me For The Distanceでした。
Lovin' youで、ヒロタンの声が変わって(声が出にくそうで)、これヤバいかも、最後までもつかな?と私は思いました。2013年にアクセスを好きになってから、そんなことは初めてで、私はとても不安になりました。

ですが、アクセスチャンネルが開けてHung Me For The Distanceになったら全回復していました。というか、今ツアーで一番良かったんじゃないかって感じぐらい声が出ていました。
休憩明けに声が出るようになったこと、単純にすごいと思いました。さすがプロだと思いました。でも一方で、何したんだろうと思いました。私は、まるで、ヒロタンが悪魔に寿命や生命を捧げて、その代わりに声が出るようにしてもらったんじゃないかと思ったんです。

ヒロタンが、そこまでしてアクセスにかけている想いを感じ取って感極まってしまったのと、寿命や生命を悪魔に捧げてしまったんじゃないかという不安で、私はHung Me For The Distanceを聴きながら泣いてしまいました(頭おかしいと思いますが、私のデフォルトです)

ライブ後、ヲタ仲間とこんな会話をしました。
「Lovin' youの時には声が出ていなかったけど、Hung Me For The Distanceの時には出るようになっていたよね」
「分かる!すごかったよね」
「なんで急に声出るようになったんだろう……」
「鼻うがいでもしたんじゃないのかな?」
鼻うがい!きっとそうだ!鼻うがいをしたから声が出るようになったんだ!と私は心をいったん落ち着けました。

しかし、ライブが終わった後、別のことが不安になりました。
それは「もしヒロタンの声が出なくなったら、ハイトーンでなくなったら。そうなっても大ちゃんはヒロタンと一緒にいてくれる?アクセスをしてくる?アクセスでいてくれる?」という不安です。

その不安に追い打ちをかけたのがキーボード・マガジン 2017年1月号 WINTERのインタビューでした。

ソロ25周年というけれど、その間、僕は1人だけでやっていたわけじゃない。同じ方向を見て過ごしてくれた貴水(博之)くんが、2日目に来てくれたのは本当に嬉しかったし、ステージに現れたときはやはり込み上げるものがあった。accessのデビュー曲の「Virgin Wmotio」を披露できたというのも感慨深かったけれど、そのデビュー曲をキーも変えずに歌って、しかもその時より貴水くんはカッコ良かった。それも嬉しかったし、長い間一緒に音楽をやれるパートナーは、そういう風に思える人なんだな、と強く感じた
キーボード・マガジン 2017年1月号 WINTER P115より引用

ベタ褒めですw
でもベタ褒めだからこそ怖くなりました。
そうじゃなくなったら?ヒロタンはキーが変わらないようにものすごく努力しています。一方でキーを変えずに歌えるように努力しても変わってしまう人もいます。だからヒロタンのキーが変わらないのは努力の賜物であり、生まれ持ったものでもあると思います。でも、努力とか気をつけるとかでカバーできないどうにもならないことで、キーが維持できなくなったら?そうなったらどうなるんでしょうか?
私はベタ褒めが嬉しすぎて泣きながらも、怖さを抱えました。

だって、2013年にアクセスを好きになって3年間、一回もそんなこと考えたことなかったんですもの。ヒロタンのキーは永遠にそのままで、だからアクセスも永遠にそこにある。それ以外のことを考えたこともなかったんですもの。
だから、2016年12月04日の神奈川県民ホール公演でヒロタンの声が出にくそうなことに、ここまで不安になってしまったんですね。

でもその怖さが薄らいだ出来事がありました。それは活動再開の2002年ごろのインタビュー記事を読んだことです。

大ちゃんは「僕もヒロと一緒にいればもうそれだけでaccessだと確信した」と言っていました。アクセスをアクセスたらしめるのは「一緒にいること」なんです。ただそれだけなんです。
だからヒロタンがどんな状態になろうとも、大ちゃんとヒロタンが一緒にいればアクセスなんです。そしてそれはきっとヒロタンにとっての大ちゃんもそうなんだと思います。

私は忘れていました。彼らは「死んでも一緒」「最期を見るのも相棒だと思う」の関係だったんです。

音楽で生きている大ちゃんが、音楽的要素ではなく、「一緒にいる」という「存在」を大事にするのはよっぽどのことだと思います。
しかもそれは、活動再開の2002年ごろから言われていたんです。私が理解していなかっただけなんです。

ずっと前から、アクセスはそうなんです。

私は、DA METAVERSE 2016 quarter pointのライブにヒロタンが登場したのを見て、大ちゃんにとっての大事な枷、「音楽が感情を超越しなければならない」が外れたと思っていたのですが、もうずっと前から外れていたんです。

大ちゃんにとって、アクセスがそれほどの存在だと分かってから、その不安はなくなりました。
このことをアクセス25周年のライブが始まる前に気づけたのは、とても幸福だと思います。
大ちゃんのアクセスへの存在の大きさを感じながら、アクセス25周年のライブを楽しもうと思います。